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野猿の歴史
1997年8月28日O.A.のみなさんのおかげでしたの「ほんとのうたばん」のコーナーでとんねるずが歌う「硝子の少年」のバックダンサーをして、番組スタッフが登場し、好評だった。同年の12月4日に野猿結成が決定。
1998年4月29日、作詞に秋元康、作曲に後藤次利、振り付けにSAM(trf)という強力なバックを受け、とんねるずの2人も加入して、野猿がCDデビュー。1stシングル「Get Down」発売。オリコン最高10位。
同年9月17日、2ndシングル「叫び」発売。オリコン最高2位。
同年12月16日、3rdシングル「SNOW BLIND」発売。オリコン最高5位。
1999年2月24日、4thシングル「Be cool!」発売。オリコン最高3位。
同年3月10日、1stアルバム「[YAEN]:STAFF ROLL」発売。オリコン最高3位。
同年3月25日に初のコンサート。チケットが10分で完売。横浜アリーナでのライブはビデオも発売。more info
同年8月4日、5thシングル「Selfish」発売。オリコン最高5位。
同年11月10日、6thシングル「夜空を待ちながら」発売。オリコン最高6位。
同年12月31日、第50回NHK紅白歌合戦に出場。全身白塗りで「Be cool!」を熱唱した。
2000年2月2日、番組スタッフ(音声)のC.A(荒井千佳)を含み「野猿feat.C.A」と名義し、7thシングル「First impression」発売。オリコン最高4位。野猿最高売り上げ40万枚を記録した。後にドラマ「お見合い結婚」のオープニングテーマになる。同年3月1日、2ndアルバム「evolution」発売。オリコン最高5位。
同年3月、3日間に及んで武道館コンサートを実施。チケットは完売。ビデオ・DVDも発売。more info
同年5月31日、やる気がないのか恥ずかしいのかC.Aが脱退し、8thシングル「Chicken guys」発売。オリコン最高5位。
同年夏、全国ツアーを実施。新メンバー加入〔浅野吉郎(売れない作家)、松村匠(プロデューサー)〕のための「野猿総選挙」を開く。数々の投票の結果、しゅう(網野高久)が落選する。そして、しばらくの間野猿の付き人になり、浅野が加入する。
同年10月10日、テルリン(平山晃哉)の地元、有珠山の噴火で被災した洞爺湖周辺に住む人々のために、ミニ・コンサートを決行する。
同年10月12日、新メンバー浅野が加わり、しゅうが一定期間脱退となる中、9thシングル「太陽の化石」発売。オリコン最高7位。
同年12月31日、リーダーの貴さんが胃炎で緊急入院し、紅白出場のピンチのどん底に突き落とされた。それでもなんとか第51回NHK紅白歌合戦に出場。長嶋監督(当時)、高橋尚子選手、田村亮子選手のコスプレで「Chicken guys」を熱唱する。
2001年1月24日、女猿の小林紗貴と野猿のボーカル4人で「yaen front4men feat.Saki」として10thシングル「star」発売。オリコン最高7位。
同年2月8日、貴さんの突然の「撤収」宣言。
同年2月28日、一時脱退していたしゅうが復帰し、11thシングル「Fish Fight!」発売。オリコン最高5位。
同年3月14日、3rd(ベスト)アルバム「撤収」発売。オリコン最高7位。また、貴さんの案で新ユニット「関東裸会 三羽烏」が「関東裸会の唄」でデビュー。オリコン最高15位。このとき、オリコン50位以下だったら2曲目を出すことはなかったそうです。
同年4〜5月にコンサート「撤収」を決行。しかし、ナルナル(成井一浩)の肺に穴が開いてしまい、ドクターストップになる。何回かコンサートに参加ができなかった。その後、神ちゃん(神波憲人)がひどいギックリ腰(ジジイ病?)になってしまい、歩くのもままならない様子だった。ドクターストップになったにも関わらず、テーピングをしてステージに立った。
同年5月3日、野猿の歴史とPVが収録された「野猿のビデオクリップと歴史 ザ・グレイテストヒッツ」がビデオとDVDで発売。
同年5月12・13日、撤収(解散)ライブ「完全撤収」が決行される。ナルナルも神ちゃんも無事に復帰し、大成功に終わった。しかし、12日の公演終了後、福岡から来ていた女子高生2人が飲食店屋上から投身自殺するという悲しい事件があった。遺書には「野猿が解散したら生きている意味がない」「死ぬ理由もないけど生きてる理由もない」と書かれてあった。 当時の新聞記事(新潟日報 2001.5/13)
同年7月25日、「完全撤収」のすべてをノーカットで「完全撤収 四時間伝説」として、ビデオとDVDで発売。なんと、ここでオリコン1位に輝く!